出典:写真AC
私、狼が好きで、エジプト神話では顔が犬顔のセト神とアヌビス神が推し
です。そう、神様ってアイドルみたいなもだと思っていて、顔がいいんですよね。
一方、韓国漫画Blのエネアドにも影響もあり古代エジプトと神話にハマっています。そして、対比的に古代ギリシャをみています。
この韓国漫画、公式(古代エジプトの書物に描かれている)の神話のを結構忠実に取り入れていて、そこにちょっとアレンジしています。だから神話の物語がわかりやすい!
「あぁー!この漫画の表現って神話のこの部分を持ってきているのか!なるほどな!」と公式のエジプト神話と韓国漫画を行ったり来たりしてます。
(歴史漫画でよくやるやつ)
以前、オラクルカードを使った相談を受けた時、
そのお客さんに関係のあるエネルギー体がいて、
妖精っぽエネルギー体だったので、
妖精のようなエネルギー体が喜んでますよって例えたんです。
それが、妖精と捉えられてしまって。ちょっと違うんだよなーと、思いつつ
メールしました。
かつての古代ローマでは「神には形がない」と言う考えでした。
ですからキリスト教が国教になる前は、古代ギリシャ神話の神々の見た目、同じポジションのものを借りています。(だから、ヘルメスをメルクリウスとし、またエジプトのトトも同一視しています。)
そう、エネルギー体とかを例えるって難しくて、本来形にはできないです。
例えているだけ、こんな存在を現実で例えるとこれに近いなって。
神話とかってそう言う意味では便利でよくできています。
<死後(冥界)を意識する古代エジプト、天国を意識する古代ギリシャ>
古代エジプトの壁画の絵に描かれている、神様が顔が動物の頭をしていたのは、自然のなかにある”もの(人間にはできないことをそれ以上の能力)”また”エネルギー”を動物をや自然、植物を通して見出していました。古代人では現代人よりも霊性性が高くありました。絵や彫刻にするってことはみえていたのですよ。
イメージを彫刻し立体化する(この三次元の世界におろしてくる)って結構大変です。労力半端ない。
また自然界からその力(能力)を借りていました。ツタンカーメンのマスクなんてそうです。額に上に毒蛇の装飾をつけて再生する(死と再生)。また毒を吐いてファラオを守ってくれるお守りでもあった。
例えば、アフリカの民族の仮面また被り物があるでしょ。
そのお面をかぶって自分に憑依させるんです。そして、そのものの力を借りるのです。
イメージとしてゼルダの伝説ムジュラの仮面なんてかがわかりやすいと思います。鬼神の仮面をかぶって鬼神の能力使うでしょ。でも仮面を取っちゃうと人間に戻る。あんな感じ。
私、美術の学校行っていたので、よくデッサンしていました。
当時は「なんでこんなことやってんだろ。」って思っていましたが、あるとき見えてくるんです。この世って完璧にできてんだなって。ジョジョのスティールボールランに回転の話と黄金比の話が出てくるとともいます。よく物事を観察すると、すげー、なんだこれ、みんなの持っている形ってかっこいい!て思うんです。「この世の中ってよくできてんな」って思いました。
ものの向こう側にある”それ”を大雑把に「エネルギー」って言ってしまうのですが、基本的に言葉にできないんです。あんな風に感じた。こんな感じだった。
イメージ(映像)で見える。
でも、できるだけ相手に分かりやすいように説明できないと伝わらないもので、神話や心理学用語といった感覚を例え話にしたりして伝えています。
自然界からそのものの向こう側を見ているというのは神道もそうですよね。 エネルギーを例えたりするのに妖怪や神様は説明がしやすいです。
(例えとしてちょっと違いますが、
大昔は、定期的に気が落ち込んでいると、つきものが付いていると言ったりしていました。それを現代の心理学に例えると、双極性障害(抑うつ)って言えばわかりやすいですよね。)
ギリシャ彫刻では神話の神々の彫刻がほとんどなのですが、
人間中心に作られています。アポロン神の彫刻が人間の形なのは、人間の理想の姿だったからです。人間の姿形として表さなくてもいいんですよ。本来形にできないんです。でも、人間の似姿で神を表現されたのは、古代ギリシャ人のにとって神々と人間との違いは不死であるかないかです。言い換えれば、人間は死すべき神で神は不死の人間でした。
(なんだか、私たち地球人は宇宙人ていう考えみたいですね。 宇宙から見たら、人間って地球人ていう宇宙人なんです。)
ラオコーンなど蛇に巻きつかれて苦しんでいる姿があるんですが、ざ・怪物なんて表現をあまりされていません。人間を通し人間の中に見出していたのです。
だからギリシャの神々は人間のように感情があり、気まぐれで、気が向いたら助けるスタンスとなっているのです。
美術的に写実性を重視していたのもありますが、神様は美しさを兼ね備えているものだと言うことで優美に表現されています。古代ギリシャでは「美=善」と言う価値観でした。
カバラのこの図をご覧ください。美が全体のセフィラーに繋がっているでしょ。そして 原初の光が下に降りて降りて降りてマルクト(地球)にきています。
ちなみに、
成人男性社会の古代ギリシャ人は、美しいものは神をもよろかばれると言う考え方があり、美男は神への捧げ物でした。
それが彫刻に現れています。「美しい男性の裸は神をも喜ばれる」と言う思想から男性美の追求がされています。
女(女神)は服を着て足まで隠されますが、男(男神)はほぼ裸。服(と言うより布)を着ていても、なんでそんなにはだけてんのかってほど服をきていない作品が多い。
ギリシャは光の世界、エジプトは暗闇の世界と言われる。これはギリシャ時代以降の歴史は光の世界を重視しているからだ。それ以前のエジプト時代などは、この光の世界とは違う、エーテル体を反射した映像を重視した。だから、動物神のような像がたくさんある。ものの例えではなく、実際にそれを見ていたのではあるいか。しかしギリシャでは、ビーナスとか、人間的な形のものが多いが、この世に存在しないような姿の生き物の像はそんなに多くはない。光が反射した映像のみを受けつけるようになったからではないかと思う。
エジプト時代までは多くの人が、エーテル体を反射する生き物を認知していたと思うのは、もう書いたように、わたしが目覚めの直前、添い寝する狐の姿などをリアルに見るような体験を数々してきたからである。
(一部抄訳)
ギリシャの時代以降、光よりも速度の遅い物のみが存在するという「集合的現実」の世界かでは、これらのイメージは、みなフィクションとか芸術とかファンタジーの領域でならば、認められると言う条件がついた。
身体は光よりも遅い素材で動いている。それを現実とするならば、それよりも速度の速い感情や思考が受け止める感覚、すなわち見たいが受け止めきれないものは、やはりフィクション、あるいは想像力が受け止めたものと考えるべきで、この考えはもちろん正しい。目の前には存在しないが思い浮かべることならできるものだからだ。
そして現実とは、感覚の目や耳でも確認できるものを指している。思考と感情だけではなく、感覚を加えて三つが受け止めることのできるものが、現実というわけである。感覚が光よりも速いところにシフトした人がいたとすると、他の人にはフィクションでの体験でも、その人には現実として認識される。
(一部抄訳)
わたしたちは存在しないものを想像できるほどの凄い能力は持っていない。それができたら神のような能力を持っている人になるのかもしれない。
たいてい想像できるものとは、もうすでにあるものだ。思考や感情はそれをトレースする。
(※エーテル体に目覚める本 松村潔 P 45 第1章 エーテル体とは)
<現代のテクノロジー(エネルギー)は心を見失いやすい>
現代のテクノロジーによりiPhoneやパソコン、ネットといった急成長。
そして昔より自由に活動し、実現化が可能になってきました。
ホロスコープ的に言うと風の時代に入ってきました。
地の時代、実力主義、努力すれば報われる時代ではなく。
風通しのいい、自分が選択し自分がやりたいことをできる時代になってきました。
ネットのおかげです。わからないことはアナログな辞書で時間かけて探すさず、iPhoneでググってすぐ出てきます。
時間短縮が可能になり、移動も楽になりました。
馬や人力でなく、車!新幹線!!飛行機!!!
何よりもその人が持つ能力・実力もそうですが、
コミニケーションが大事な時代です。
心を通わせるコミニケーションです。私利私欲や自己犠牲ではなく、
自分も尊重し相手も尊重する。
いわゆる、アサーションです。
ですが一方、現代の時代の波に流れに乗れない、追いつけないでそこに留まっています。(そこに留まることが好きならいいんです。)
ひと昔古い思考または古いエネルギー、現代の技術、思考(理論的すぎる)、学校教育など、囚われ、振り回され、自身を見失ってきたりしています。
親子問題、家族問題がそうでしょう。
現代の殺人では親族・家族間での割合がとても多いです。
殺人事件の半数以上は 親族間で起きている この数年、日本で起きている殺人事件の内訳をみると、親族間での殺人が頻繁に起きています。法務省が発表している殺人事件の動向というデータでは2016年に摘発した殺人事件(未遂を含む)のうち実に半分以上の 55 %が親族間殺人。実際に検挙件数そのものは半減している中で親族間殺人の割合は増加しています。
一部引用:殺人事件の大半は親族間で起きている――「束縛する脳」の闇 『毒親』②家族がつらいあなたへ
これは古代ギリシャ人の滅亡の日の考え方です。
「父は子と、子は父と心が通わず、客は主人と、友は友とおりあわず、兄弟同士も昔のように親密な仲にはならない。
親が年をとれば、子はこれを冷遇し、罵詈雑言を放ってそしるようになる。
年老いた両親に、育ててくれた恩義に報いることもしない。
そして強い者こそが正しいと考える輩によって、互いの国を侵しあう日が来るだろう。
力が正義となり、『恥』という美徳は失われる。……
そうなれば人間には、悲惨な苦悩のみが残り、災難を防ぐ術もなくなるだろう」
(※ヘシオドス『仕事と日』松平千秋訳181行目以下より一部意訳と抜粋)
意外でしょう。
滅亡の日って聞くと、現代だと隕石落下や核戦争などの人類滅亡を想起させるのに、心やモラルを失うことが彼らの滅亡でした。
古代ギリシャ人からしたら、私たちは滅亡に向かっているのかもしてません。
ちなみにワーグナーの楽劇でも、神々のたそがれ、というものがあり、神々が滅びる時代を描いているが、神々が去っていくものではなく、われわれがそれを認識できないような光以下の世界へ落ちてきたのだろう。何も変わっていないが、わたしたちごそれをもう発見でいないということなのだ。
(※エーテル体に目覚める本 松村潔 P 48 第1章 エーテル体とは)
技術の進歩により、
できること増え、娯楽や楽しいことがある一方で、悪意もあります。
満ち溢れています。ネット情報なんて最たるものでしょう?
デマや情報操作なんてあるし。炎上でガンガン燃えて、ネット内キャンプファイヤーか。
その悪意や敵意は必ずあります。顔出しをせずに、名前もペンネームなので、
心理的にモラルが曖昧になりやすく、ヘイター(ネット上で、何でも批判し文句や陰口ばかり言う人)が出てきやすいです。
そんなネットから、自分がどう線引き(境界線)を引くか、
どう距離感をおくのかです。
現代の技術に使われるのではなく、自分たちが使う。
情報に流されるのではなく、必要な情報は取ってくる。
デッサンの話に戻りますが、
デッサンって本人次第で、メンタル落ちてたり、怒りで描ける状況にない時に描くと、画面に出ちゃうんです。きったないデッサンになったり、死んだデッサンになります。
ほんと本人の心次第。疲れていたら、無理せずに休む!描かない!と自分の声に耳を傾けないといけないんです。
本人の使い方(心)次第なんです。
どういう心の在り方かで見える世界が変わるんです。
<文明や文化を通し自分は何を感じているのか>
古代ギリシャもそうですし古代エジプトもそうですが、
古代人の技術ってすごいんです。
現代のコンクリ建物のって100年持たないのに、大昔に建てられた
例えばパルテノン神殿やピラミッドって残っているでしょ。
少しばかり壊されたり、月日で削られたりしていますが残っている。
キリスト誕生前(紀元前)から残っている。
パルテノン神殿に関して現代の技術を持っても3Dで忠実に起こせないと専門家が言っていました。目の錯覚で柱がバラバラの大きさに見えないように、
柱一つ一つ微量ながら形を変えているなど工夫をして緻密に作っているので、3Dに起こすとデータが多すぎて起こせないのです。それぐらい技術があるんです。
(だから魅了されるのかもしれませんね!)
知識や哲学もそうですが。なぜ、現代の今でも残っているのか。
そして、なぜ今も現代の人々にも影響を与えているのか。
なぜこうも美しく魅了されるのか!
神話や言い伝え、口ずたえ(密教)の中に叡智が隠されています。
また、哲学でも問いかけられます。
「何故?」「どうして?」「自分は一体何者なのか?」
現代アートもそうです。
時代や地域によって、教え方や伝え方が変わります。
ギリシャ神話、エジプト神話なんて1000年以上も継ぎ足しされていて、「えぇ・・・なんでそんな表現してんの」と言うことが往々にしてあります。
国同士や文化が吸収されていくと、トト神とヘルメス神を同一視するってなります。(頭の回転が早い・知識がある神様だから、象徴性が似ているので後から一緒にしています。錬金術詳しい人はわかるかと思います。)
ですが、影響されていてもやっぱり根源的なとこは文明・文化・時代問わず変わらないものです。
現代では、現象を化学によって例えば心理学や物理学で言い換えたりしています。
時代によって伝え方・言い方がかわるので、どう解釈するのか本人に委ねられるのです。
だから感じる(考える)んです。
この知識を使って「じゃ、自分はどうしていくのか」を各々が考えないといけなくなります。星(人)の数ほど哲学があるんです。
<余談:魂が離れたあとこのと>
古代エジプトでは、ミイラ作りの神様であるアヌビス神。
シリウスと言う星の神格化でもあります。
私の推しでもあり、冥界エンジョイライフまた、
死を意識する上で、ある意味では重要な神様になります。
死んだ後、魂は帰っても体は残ります。
遺品もそう。
アヌビスのように死んだ後、近辺整理をしてくれる人のことを考えなくてはなりません。
遺言紹の他にエンディングノートって重要だと思うんですよね。
人によって「こういう葬式を開いてほしい!」という希望があると思うんです。
他に遺言書に書けない最後のメッセージを残したり、自分の思い出に浸って、記憶の整理(この世に未練の思いを残さないために)もできる。
独り身で亡くなった時が大変です。
アヌビスのように、必ず身の回りことに動いてくれる人のことを忘れてはいけません。
出典:ルクソールの風に吹かれて
<明光の神アポロン・死神のアポロン>
さて、古代ギリシャにおける疫病の神が誰なのかは、第2章でもお話しした通りです。そう、アルクレピオスの父であり、この神域で彼と一緒に祀られている医神でもあアポロン自身です。
そして「人間が突然死ぬ」ことを古代ギリシャでは「アポロンの矢に当たる」と表現するので、疫病以外の突然死を与えるのもまたアポロンです。 そう思うと医術の神が疫病の神と死神も謙任しているという恐ろしい状況です。しかし、当の本人はこういっています。
アポロン「人間にとって一番幸福なことは、死ぬことだ(だから私は感謝の気持ちとしてお前を殺した)」
(一部抄訳)
古代ギリシャは平均死亡年齢が男性44歳、女性で35歳の今よりもずっとしがみじかな世界でした。アポロン神に言わせてはいますが、これは古代ギリシャ人が考えている死生観そのものでもあったのです。
(※古代ギリシャのリアル 藤村シシン P256 第3章 古代ギリシャ人のメンタリティ ー③愛と病、そして死と永遠)
東洋に陰陽論の考えがあるように、光と闇は表裏一体。
古代ギリシャでもこういった二極化が現れています。
また古代エジプトでは植物の再生する力を神格化したオシリス神がいます。
農耕神でもあり冥界の神という神様です。(死と再生を象徴しする神として)
キリストの天使でもいるでしょ、 天使ルシファー(ルシフェル)と天使ミカエルの兄弟の原型になっている、カナン神話に出てくるシャヘル(明けの明星)とシャレム(宵の明星)という双子の天使が。ルシファーはのちに、人間(アダムとイヴ)に知識(知恵の実:カバラでは隠された知識のダアト)を与えて神様から追放され堕天使しサタンになったあのルシファーです。(諸説あります。)
この双子がギリシャ神話だと双子座で有名な、カストルとポルックスにあたります。
(余談だけど、この双子、一様スパルタ出身の軍神で、絵画だと筋骨隆々に描かれる。ルーベンスの娘を略奪している絵を見ると、結構性格も荒い。星占いで見かける可愛い双子座なんてもんじゃない。↓ )
陽の自分もいれば、陰の自分もいるんです。
ホロスコープで言うと太陽と月。外へ働きかける自分と内面に向かっていく自分。
どちらも自分の中にある要素です。
輝かしい自分もいれば、醜い自分もいる。魂から放たれるものは醜く汚くても美しいのかもしれませんね。
パピルスに描かれている「死者の書」で有名なエジプト神話ですが、その死生観はバー(魂)とカー(霊・精神)が生き続けることで永遠の命が得られる。
ミイラは肉体に戻るためのものとし、再生復活が信じられていました。
また、人間の魂の要素にシュト(影)があります。そう、彼らはシュトは人間に必要なものだと知っていました。
人間が束の間の幸せを手に入れたとしても、
神々の意見一つですぐに地に落ちる。
はかなき人間たちよ。お前は誰だ?
何者でもないのか?
人間の生など、影が見る一瞬の夢だ。
(※ピンダロス『ビュティア祝勝歌第8歌』)
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